合言葉は、
やればできる、
きっとできる。
- 三幸学園
- 飛鳥未来高等学校
- 2013年 中途入社(障がい者採用)
私の人生、
もっと楽しまなくちゃ。
不慮の事故に遭い、リハビリ生活から約2年。車いすでの生活にも慣れ、働ける状況も整い、障がい者枠で採用してもらった、前職。しかし、なかなか仕事を任せてもらえず、やりがいを感じられない日々。それでも、組織に貢献したい気持ちが強く、「何か私に出来る仕事ないですか?」と周囲に声をかけてみますが、いい返事はもらえませんでした。他の社員は忙しい毎日を送る中、自分だけ時間が止まっているような感覚……。心のどこかで、もっと活躍できる世界を求めていたんだと思います。
とあるきっかけから友人に紹介された、飛鳥未来高等学校。その責任者の方とお話する機会を設けてもらい、仕事や学校、教育の話など、たくさんお伺いしたとき、私の中で溜まっていた何か、が爆発しました。「誰かの人生を変える仕事」に心を掴まれたんです。私も、この学校の仲間になりたい。飛鳥未来高校に転職したら、毎日がもっと楽しくなる気がする。学校のスローガンは、「やればできる、きっとできる」らしい。学校で働くなんて考えたこともなかったけれど、私だって、やれば、きっとできる。ワクワクする方に突き進んでみよう。
障がいなんて、
気にしなくていい。
生徒対応に、進路相談、学校の広報活動、授業の準備やサポート。飛鳥未来高校に転職してからは、学校にまつわる仕事はもちろん、それぞれの業務で裁量ある立場を任せてもらえました。「これお願いできる?」なんて、責任者から直々に仕事を頼まれ、むしろ声を掛けられすぎて手が回らない、なんてことも(笑)。
清々しいほどに、何でも任せてくれる。この学校に来て感じたのは、障がいがある・無しなんて少しも関係なく、みんなが平等な立場で接してくれることです。それは、教職員だけじゃなく、生徒たちも同じ。私が車いすであることなんて、まったく気にしていなくて。ごく自然に受け入れられている状況がとても嬉しかった。正直に言うと、車いすになってから自分に自信が持てないこともありました。でも、そんなこと気にしなくていいみたい。飛鳥未来高校のみんなのおかげで、私らしさを取り戻せるようになりました。
つくり上げよう。
団結力とスピードで。
学校に来てから3年目。三幸学園の専門学校で開かれる最大のイベント、「三幸フェスティバル」を見学したときのこと。そこには、数千人を超える生徒たちが演舞を披露し合い、溢れる熱気がありました。一糸乱れぬパフォーマンスに私は息を呑み、彼ら彼女らのパワーに圧倒されて、いつしか演舞に釘付けになっていました。みんなで団結して、ひとつのモノを努力してつくり上げるこの経験は、きっと、参加したみんなの一生に残りつづけるに違いない。涙する生徒たちを見て、私も、もらい泣き。そして思いました。飛鳥未来高校の生徒たちにも、「かけがえのない瞬間」を経験させてあげたいと。
後日、同僚たちに「私たちの学校でも三幸フェスティバルをやりたい!」と話したとき。私の発言に周囲のみんなが「いいね!」「やろうよ!」と賛同してくれました。全員一丸となって力を発揮する、まさに三幸学園らしい団結力とスピード感で、実現に向けて一気に走り出す。形になったイベントの名は「ASUKA★FESTIVAL」。当日は、まさにお祭り騒ぎ。私が思い描いた以上に、生徒たちも一生懸命取り組み、楽しんでくれた様子です。それから、毎年の恒例行事となった「ASU★FES」は、当校から全国のキャンパスに波及し、いまでは学園の名物行事になりました。
三幸学園を背負って、
世界へ。
日々、生徒たちはさまざまな挑戦を通して、成長していきます。そうした姿を見ていると、私自身も何かチャレンジしてみたくなる。車いすカーリングをはじめたのは、生徒たちのエネルギーに触発されたのがきっかけです。趣味程度からスタートした競技も徐々に面白さにのめり込み、チームを立ち上げて大会に出場するほど、活動は本格化。ありがたいことに、今では日本選抜のメンバーに選ばれ、世界大会に出場する機会もいただけるようになりました。
そうなると、海外遠征が入ったり、仕事との両立が少し難しくなってくる。もちろん、学校に迷惑をかけたくなくて、責任者に相談しました。すると、特別な勤務シフトを導入してくださったり、私の業務を分担できるように掛け合ってくれたり。仕事とカーリングを両立できるように取り計らってくれました。そうした配慮のおかげで、私は思いっきり競技に打ち込める。個人の夢までも応援してくれる環境に感謝しつつ、私にできることは、三幸学園の名前を背負って、一つでも多くの勝ち星をあげること。夢は、パラリンピックに出場して、金メダルを獲る! そしたら、生徒たちに話してあげたい。ほらね、「やればできる、きっとできる」でしょ、って。